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「自分たちが着たい服」こそがビギグループの出発点
「既製服でいいものがないから、自分たちで面白いものをつくろうじゃないか」。1970年、ビギグループ創業者の大楠祐二や当時、雑誌「ミセス」のモデルをしていた稲葉賀惠らを中心に5人が集い、白金にあるマンションの一室からその物語は始まります。デザイナー、パタンナー、営業、生産といった役割を一人何役も兼ねながら、そしてもちろん思いっきり楽しみながら、服をつくり続けていきました。「自分たちが着たい服がないなら、自分たちでつくればいい」その思いを胸に「BIGI」は立ち上がりました。
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「BIGI」第一号店、
それは渋谷西武1970年頃に、時代の空気を捉えた斬新なショップ「カプセル」が渋谷西武にオープン。アヴァンギャルドな仕掛け満載の空間は、まさに若いデザイナーたちの憧れの売り場。この空間こそが「BIGI」第1号店であり、世間の注目を集めるきっかけとなった場所でした。
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原宿の流れを決定的に変えた「BIGI」原宿店
渋谷西武に出店したその数か月後、「自分たちの思い通りに100%表現できるお店をつくりたい」との決意で、原宿に石垣づくりのブティックをオープン。インパクトのある外観は評判を呼ぶとともに、ファッションの街としてまだ確立されていない原宿にあえて店を構えたことが注目の的に。表参道が開散としていた時代に「BIGI」のショップはトレンドリーダーたちが続々と車で駆けつけるスポットとなり、徐々に原宿=「BIGI」という図式が成り立ち、街が変わっていきました。
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ファッションストリートの
拠点に先駆ける代官山はビギの先駆性を表す一つのキーワード。まだ人の少なかった代官山にいち早く目を向け、ヒルサイドテラスの一室をアトリエとしたショップをオープン。いわばマンションメーカーの走りでした。今となっては、ファッションエリアとして広く親しまれていますが、当時ビギの進出を追いかけるように、多数のブランドが代官山のストリートに店舗やオフィスを構えていった歴史があるのです。
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プレスという機能の必要性
雑誌媒体やカタログなどを利用し、コンセプトを発信していくプレスルームを設けたのもビギが先陣でした。今日では、プレスルームはファッションブランドにとって当たり前の空間ですが、かつて日本のメーカーでプレス機能を有するところはほとんどありませんでした。プレスを単なる洋服の貸し出しの窓口としてではなく、ブランドイメージをコントロールしていく場所へ。シーズンごとのブランドガイドライン、新作テーマ、ラインの特徴などを打ち出し、正確に発信していく、そうした試みを早くから積極的に進めてきました。
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テレビ番組の衣装提供の
クレジットもビギが最初TV番組「傷だらけの天使」とのタイアップや映画「燃えよドラゴン」でブルース・リーが着用したことで「MEN'S BIGI」がブレイクしたのは有名な話。当時としては珍しかった衣装協力を行い、デザイナーズブランドの先駆的な存在になっていきました。アメリカの有名女優が「BIGI」を気に入り全米展開の契約を申し出るなど、大掛かりな話も。実現はしませんでしたが、ビギがバックアップしてローリング・ストーンズの公演を協賛する話、有名映画監督の世界展覧イベントに関わるといったワクワクする話は、枚挙に暇がないほど。こんな夢のような話をみなさんともつくっていきたいと思います。
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ファッションの枠に
とらわれない想像力設立から半世紀を超えた今もビギグループはファッションの枠組みにとどまらず、総合的なライフスタイルを創造し、その世界観を発信し続けています。これから、さらに驚きある提案ができるようグループ一丸となって歩みを進めています。